あの人に比べて、私はなんて駄目なんだろう。
「かわいそうな私」思考になっています。
きっと自分なりの素敵な出来事もあったはずです。
- 「他人と比べる思考」では、環境を変えても悩みは続く
- 自分は幸せであることに、気づくことが大切
- カントリルの考え方で楽になる
大人イヤイヤ期は、個人の幸福感の低下だけでは発生しない
なにかと不満や愚痴を出す大人イヤイヤ期の人は、他人と自分を比較しがちです。
- あの人は成功している。それに比べて私はくすぶっている。
- あの人は楽しそうだ。それに比べて私は毎日が楽しくない。
- あの人には仲間に恵まれている。それに比べて私は孤独だ。
「自分はかわいそう」と考えています。
厳しい事を言いますが、今のポジションに居るのは、常に自分が決断をして進んできた結果なのです。
自分で言っていて、悲しい。
悲観的思考であれば、環境が変化したところで上記悩みは解決しないでしょう。
いや、一時期の幸福感はあるかもしれません。しかし、幸福の尺度が「他人と比較」であれば、時間経過とともに大人イヤイヤ期へ戻ることでしょう。
他人と比較することが基準であれば、満足することはない
セットポイント理論
ウェルビーイングの研究において援用される「セットポイント理論」というものがあります。
ある人の幸福感には基本となる水準が決まっていて、さまざまな環境要因によって幸福感が一時的に変動することはあるものの、時間がたてば基準点に戻る。
ソーシャルウェルビーイング研究の課題 金井2015
大人イヤイヤ期の人は、他人と比較することが基準となっています。
頑張って環境を変えたとしても、時間経過とともに同じような悩みを再び持つのではないでしょうか。
まとめ:自分の環境をポジティブな視点で見つめなおす
他人と比較することで、たくさんの気付きはあると思います。
しかし、それによってネガティブになるのであれば、考えを修正した方が良いかもしれません。
- 今、過ごせていることはありがたいことではないだろうか。
- 今日、自分の行動で誰かを良い気分にできたのではないか。
- 今日、なにか新しい気付きがえたのではないか。
他人から刺激をもらうことで、ポジティブな影響になることも多いと思います。
しかし、自身が幸福なのかどうかを他人と比べても仕方が無いようにも思います。
上記の「日常で得る小さな幸福」が積み重なって、自分は幸せであるのだと感じるはずです。
私は「地獄の重労働」や「食事を満足に取れない場所で長期間滞在」等を経験したことがありません。
よって考えが甘いかもしれません。
しかし、そういった環境と比較すると、やはり自分はありがたい生活をしていると気付かされます(それも他人との比較となってしまうか、、、)
おまけ:最高の人生を10としたとき、、、
カントリルの人生の階梯尺度
カントリルの人生の階梯尺度
cantril1976
あなたが想像し得る最高の人生を10、あなたが想像し得る最低の人生を0としたときに、現在のあなたは何点かというものです。
「死ぬこと以外かすり傷」なんて言葉を箕輪(2018)さんが言っています。
そう考えると、自分がいまどのくらい幸福なのか、どのくらい挑戦できるのかを考えさせられます。
参考文献
ありがとうございました