いつもお世話になっているから、花金の打ち上げ断れないんだよなあ
恩義に対して応えることは、素敵だと思います。
しかし、無理して疲労する必要はあるでしょうか。
- 恩返しをしたいと思う時
- 日本と欧米の違い
- 恩返しができる範囲を考える
恩に縛られ疲労したくない
社会に属している以上、人との関わりは避けられません。
私達は様々な場面で、多くの方から援助を受けて生活をしています。
人から援助を受ければ、恩返しをしたい気持ちになります。
恩返しの方法は、プレゼントや手助けなど様々な手段があるでしょう。
もちろん「ありがとう」と言葉で返礼することだってあります。
また、援助を受けたことによって、相手への付き合い方に変化が起きます。
被援助者(例えば、以前助けてくれた方)が困っていれば、なんとかしてあげたくなるものです。
被援助者からの飲み会やゴルフの誘いがあれば、なんとか都合をつけて参加しようと調整を試みる方もいるでしょう。
このようなことが続き、「しんどい思い」をしている人はけっこう居るのではないでしょうか。
義理人情というものです。
このようなケースで疲労したことがある人、私だけではないハズです。
援助を受けて感謝感情を持つことは、とても素敵なことだと思います。
もちろん、恩を忘れてはなりません。
しかし、援助されたことによって「負い目」を感じることがあるのです。
恩を返したいという感情
恩を返す義務を抱く
心理的負債という感情があります。
心理的負債:被援助者が援助者に返報しなければならない義務を負った状態で感じる感情
Greenberg1980
「受けた恩は返さなくちゃ!」という感情です。
Greenberg等は、心理的負債が発生する影響を下記の通りとしています。
- 被援助者(恩を受けた方)が感じた利益
- 被援助者が「知った援助者」を援助するために支払った労力
自身が受けた利益と相手の労力を知って、心理的負債を感じます。
日本人は援助を受けて「すいません」という謝罪が感謝と並んで使われます。これは被援助者の労力に注目しているからこそ出てくる言葉なのです。(Aikawa,1990)
ちなみに欧米文化の対人関係では、好意を受けることは援助者に借りを作り、自由を束縛する苦痛とされているそうです。(Greenberg,1980)
欧米って、たくましいね!
アメリカでは、他者のコストよりも自己利益の説明力(なにかの原因となる度合い)が高いとのことです。(一言,新谷,松見,2008)
一方で日本は集団主義文化であるため、他者のコストが自己の利益よりも大きな関係を持ちます。(Aikawa,1990)
できる範囲を超えた恩返し
相手の苦労を想うがあまり「受けた恩以上にお返しをしたい」という考えの人もいると思います。
相手を想うからこそでてくる、素晴らしい考えです。
しかし、自身のキャパシティを見過ってしまうのはどうでしょうか。
恩返しに追われてしまい、自身の幸福が離れてしまう気がします。
自分のできる範囲で恩を返すことが大切だと思います。
- 交際関係:「私を救ってくれた方がとてもお金に困っている。私が工面してあげないと」
- お店関係:「いつも癒やしてくれるあの人が今月売上ピンチだ!なんとかしてあげなくちゃ」
- 英雄関係:「山賊から我々を守ってくれた殿方。この村で一生尽くさねばなるまい」
もはや上記は恩と言っていいのかわかりません。自身のできる範囲を超えて、辛いゴールが待っているかもしれません。
まとめ:自分のできる範囲を考える
何度も言いますが、自身が援助を受けたら相手に何かを返したいという気持ちは、とても良いことです。
「自分良ければ全て良し」「援助してもらうことは当然だ」「私の言うことを聞け」と思う人には、抱くことのない気持ちでしょう。
恩返しは、相手を想うからこその考えです。
そんな優しい人たちが、他者に尽くし続けて疲れ切ってしまうというのは、とても悲しいものです。
自分はどれくらいのことができるか。
恩返しも、自分の幸福を重視して考えてもよいと思いました。
感謝と幸せについては、下記の記事を読んでみてください!
参考文献
ありがとうございました。
それが幸せということもあると思います。幸福ってなんでしょう。